yoga kutir 凪

ヨーガクティールなぎ

【2018年4月インド③】アシュラム飯とベジタリアン食について

「食事は毎日カレーですか?」

 

インド行くことになりました、もしくは、行ってきました、というお話をすると訊かれることの多い質問ナンバーワン。まあ、興味も関りもない人にとってインドと言えば、ターバン巻いたインド人とカレーですよね。分かります。

 

このあたりは前回も書いた通りですが、日本人にとって「カレー味」と感じるようなものが多いのは確かです。

f:id:yoga-nagi:20180518014457j:plain

お食事前のお祈り

でもでもでも、アシュラムで時々(月曜日の朝ごはんらしい)出るアップルサモサとか、かたちは三角形だけど、要するにほぼアップルパイ!

コレが美味しんですよぅ(*´з`)~♪

 

アシュラムのお食事はベジタリアン食でして、そもそもリシケシという街の飲食店は(一部の例外を除いて)基本ベジタリアン食のらしいです。アシュラムではさらに、おそらく五葷【ごくん】(ネギ、ニンニク、ラッキョウなど)も使ってないんじゃないかと思われます。

 

何故なら、ここで食事を続けているとだんだん嗅覚とかが敏感になるらしく、この人、外食してきたんじゃないかな(←コース受講生は基本外食禁止されてるんだけど)って、なんか話していると匂いで分かるんです。

 

前世が修行僧の私は(あ、冗談です^^)、この五葷【ごくん】が結構苦手なので嬉しいのですがちょっと味気ないのも確かです。で、コクを補うためにギ―(バターオイル)をかけたりしながら食べてました。インドのベジタリアン食は乳製品がOKだから、私としてはわりと体が楽で助かりました。

 

数日の間、真面目に(こっそり外食とかジャンキーな間食とかをせずに)きちんと三食アシュラム飯を食べていると、まず舌がと~っても綺麗になります。タンスクレーパー(舌みがき器)なんて別に要らないなって感じです。内臓から綺麗になってるって感じです。まあ、日本に帰ると1~2週間で大体元通りになりますが。

 

さて、インドで苦楽(本人達の感覚としては苦苦苦苦苦楽)を共にしたお友達と、先日日本で会いました。改めて色々話していたら、学んできた流派や先生が私とほぼ一致してるじゃん!ということが判明して、ヨガ関連の与太話が尽きなかったです。

 

彼女はヨガの講師業はしてないけれど、多分私なんかよりもずっと真面目にプラクティスしていて、アーユルヴェーダのコースもいくつか修了しているんですね。(かなり深く学んでいるにも関わらず、それを生業にはしていないという人は多いです。そしてその逆もまた、モニョモニョモニョ…)

 

で、日常的にもベジタリアン食を心がけているそうです。日本での外食はインドカレー屋さんが便利って言って、ベジタブル&豆カレーを食べてましたね。アーユルヴェーダのみならず、本格的なマクロビオティック食も習った経験もあるそうですが、「こんなことしてたら食べられるものがなくなる!大変すぎる!」って思ったって話でも結構盛り上がりました。

 

そうなんです。毎食有機栽培のお野菜のみなんて、今の東京じゃ大変なこと。そして、絶対に必要なたんぱく質をどうやって取るか、というと、大抵が豆製品になるわけですが、豆だってそんな安くもない。ひとまず手軽なところで豆腐や納豆ばかりになったりして偏る。さらに野菜の切り方によっても陰陽のバランスが変化する、とかなんとか言いだすと、理解は出来るけれどもし毎食実践するとなるともはや、狂気というしかない状況・・・。経済的な問題も含めて生活スタイルが許すなら、どうぞとは思いますが。

 

ただ、先ほども述べました通り、いわゆる精進料理のような食事を続けると本当に体も軽くなるし、実際ヨガやら瞑想を行ずる期間そのような食事をするのはとても良いです。やはり体は食べたもので出来ているんだなってことも実感できます。

 

さて、アシュラムではセヴァという施設内のお仕事のお手伝いも修行の一つとされていて、お食事の給仕のお手伝いをしたりするんです。(写真の右側の方に立っている数名がお給仕係)

 

西洋人の多いちょいとあか抜けたアシュラムだったので、食事に関してかなり細かい配慮がされていて、ヴィーガン食だとか、グルテンフリーの人には特別このエリアに座ってという場所があり、特別食が用意されてるんです。

 

で、ある日豆乳を普通に希望する人に注いで回っていたら、豆乳は欲しい人全員にではなくてヴィーガンの中で希望する人にだけ出すんだよって注意されたんですね。その理由というのが「牛乳と違って豆乳ってのは高価だから」と。彼らが倫理的観点からヴィーガニズムを通しているのか、何らかの健康上の理由でそうしているのかそれぞれの事情はわからないけど、な~んか複雑な心境でしたね。

 

そもそも太古の昔は殺生も肉食もバリバリだったはずのインド。ベジタリアン食が尊ばれるようになり定着していったのは、農業技術が発達して食べ物のストックが出来るようになったからこそだと言います。要するに菜食主義を通しても栄養が足りるだけの豊かさが生まれたということ。

 

大体、菜食の根拠をアヒムサー(非暴力・不害)だったり、サットヴァ(純質)的な食べ物を摂ることで、心身の純粋性を保つとかいう説明もよく考えてみれば結構とご都合主義だと思う。

 

ジャイナ教徒が、蟻んこ一匹も踏みつぶさないように気をつけて歩き、熟れて自然に落ちた果実だけを食べるという、それこそ死をも辞さずというほどの徹底したアヒムサーの態度とは違う。

 

なので、菜食主義の根拠をアヒムサーに求めようとしている皆さんは、もうちょっと深く考えてみてほしい。徹底的にやるなら断食して死ぬことが至高ということになる。「いやそれはちょっと…」と思うのであれば、その「いやそれはちょっと」と思う葛藤を自分なりにどう処理していくの?ってことを考えると、現実社会を生きる一人の求道者として、一皮剥けるんちゃう?と思う。

 

ああ、またしても話の筋が変な方向にズレていってしまいました。まあいいか。

 

また時間あったらインドの生活思い出したことアップします。(^^)/