yoga kutir 凪

ヨーガクティールなぎ

【聖なるチカラと形・ヤントラ】

◆yoga kutir 凪
~ヨーガ・ピラティス・マスターストレッチ・足圧・アロマ~

ホームページ | スケジュール | ご予約 | お問合せフォーム 

 

何か月か前に読んだ本の記録です。

 

聖なるチカラと形・ヤントラ―なぜ、翼をもった大人になれるのか?

 

 

 

ニュース記事を見ただけなんですが、鶴太郎さんがなんとかいうヨガの資格を取ったっていうんで、先日取材を受けてたらしいですねー。

 

ちなみに、聞いたことない資格だと思ってちらりと調べたら、どうも最近始まった現代インド由来のヨガ資格のようです。幅を利かせている全米ヨガアライアンスに対抗して、オリジナル資格を発行していこうじゃないかってことなんでしょうか。テストの例題とか出てたけど、なんというか、別に普通でした。

 

資格発行元のことはさておき。鶴太郎さんのこと、以前に話には聞いていたんです。朝出かける用事があったらその4時間くらい前には起き出して、ヨガの練習と瞑想をするとか、うっかり瞑想に入り込み過ぎると時間を忘れて抜けられなくなるので、あらかじめアラームかけないと、とか。

 

そういう生活については皆さん賛否両論なんですが。本格的にそんな生活をするようになって5年ほどと書いてあったので、私は「ああ、そういう夢中になる時期って通るよね~」と、微笑ましいね(超・上から目線)、くらいの感じもしました。元々何かにぐっと夢中になるタイプのようだし、それを邪魔するような制約が少ないから一直線に進んできたのでしょうね、と。

 

ただ、何らかのかたちでヨガを始めて、うっかり精神世界に目覚めちゃったような人であれば、志高くその道を目指そうとしても、自分の理想とはかけ離れた現実世界に引き戻されるというか、そんな現実の制約に嫌気がさすなんてことは、(真面目に探究している人なら)結構経験しているんじゃないかと思う。

 

そうやってちょっとでも悩んだことのある人は(もちろん現在進行形で苦悩中の人も)こちらの一冊を読んでみるといいかも、です。1998年初版なので、30代以上のアダルトチルドレン的な人には特にいいと思う。

 

この世に生きるのは無意味、無価値―と感じる無気力やニヒリズム

同時に、自分の夢を形にしたいという―願い。

この引き裂かれ、混乱する思いが“精神の春”すなわち青春の特長でしょう。<中略>夢を捨て、翼を失うことが、大人になることでは、ない―と著者は考えるからです。

そのために、この世界と自分の関係を―つながりぐあい―を、徹底的に、つきつめ、極め、本質と現象を探求しました。それを「哲学」というのでしょう。

はんぱでは、知がますほど……生きることに無邪気な確信をもてなくなるからです。

(まえがき)

 

全米ヨガアライアンス200時間の講師養成課程なんかで設けられている哲学のクラスなんかは、まさにこの「はんぱ」な知識によって、無邪気で幸せだった人達を混乱させていると思う。別にディスじゃないです。正直しょうがないと思う。200時間のうち、最も世の中から求められているアーサナ(ポーズ)の実践と知識を身につけるための時間が最も優先されていて、哲学講義にかける時間なんて微々たるもの。普通あんな中途半端に知識入れられたら、最初っから「興味なし」と聴く耳持たないか、もやっとするはず。

 

もやっとしたなら、自分で探究をせよ、なのです。

 

そう言えば私がインドで習ってた先生は「ヨーガスートラなんて読んだことない。実際の生活に適用できないから無意味。www」っていう、現実的な賢者でした。(適用できないじゃんって判断してるってことは、ホントに読んだことないんじゃなくて、読んだうえで、自分にとって深く学ぶ価値なしと判断したってことだと思うけど。)

 

そんなわけで、うっかり精神世界に足を踏み入れた時に生まれる「もやっと」を様々な側面から探究してくれます。

 

プラトンアリストテレスの時代まで遡って紐解いていく、精神世界と生活世界の対立構造。私たち個人もその対立構造に、もれなく巻き込まれている。なんていうところから始まり、かなり壮大なスケールで精神世界と生活世界(理想と現実と言ってもいいのかもしれない)について語ってくれていて、読み応えありでした。

 

このへんは私見ですが、バリバリ現実主義・合理主義だった時代の西洋にヴィヴェーカナンダをはじめとするインドの精神的指導者が渡り、教えを説き始めた頃というのは、「生活世界だけじゃないですよ、精神世界の見方で言えば、皆さん一人一人が神なのですよ」みたいなことを一生懸命言っていたんじゃないかと思うんです。それが、その時代の西洋では新鮮な教えと受け取ってもらえた。

で、最近深刻なのはそれを個人レベルでこじらせているパターンなんでしょうね。

「自分は神に等しい無限の存在のはずなのに、なぜこんなにも現実世界は生きづらく、理想は実現しにくいのか?!」って。

 

ここで、「神に等しい無限のわたしなんてウソだった」とか、「神に等しいわたしが生きるにはこの現実世界はあまりにも汚れている」と、どちらかを切り捨てるのではなく、その地上に降りた神が人間としてい生きていく物語が、人生というものなのだ、というのが著者の論調です。

 

「無限であれば、形は、できない」のですから、形を作るにためには、無限なものは、限度を覚えなければなりません。「型にはめられる」ようで、いやな感じでも、夢を形にし、理想を実現するには、必要な原則です。<中略>天使のように純粋無垢な永遠の少年・少女の、初初しい、こころの中心には、純粋―意識が、理想をもとめる精神としてやどっています。<中略>ロマンや理想を実現する舞台として、現実は大切です。理想と現実は、キカイの設計図と完成したキカイのように、たがいに必要な一対です。

 

何となく、十牛図を思い浮かべながら読みました。

 

まあ、ちょっとマニアックですが、ヨガ関係ない人も含めておススメ。内藤先生、とっても聡明でありながら、茶目っ気のあるかたですね。