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カラダ目線【オウムと身体】

読書ブログじゃないんだけど、面白かったので、またしても本の紹介。

 

伊藤センセのヨーガスートラ本を読む傍ら、以前から読もうと思っていた片山洋次郎さんの著書を読みました。伊藤センセ同様、相変わらずこのかたのカラダ目線は面白いです。

 

約20年前に書かれたわけだから、当時身体の変化の過渡期にあった若者子供は今、古い表現ですが、働き盛りというか、社会の中核を担い始めたということになる。なのだが、、、思ったより変化の流れが緩慢に思える。まだまだ身体の欲求を理屈でねじ伏せなければうまく生きていけないでいるということなのだろうか、と思う。

 

ちなみに、私はこの地下鉄サリンとか阪神淡路の震災とかのあった年、日本にいなかったんですね。もちろん事件・天災を予期して出国したわけじゃないんだからたまたまなんだけど。「うわぁ、ひどい…。」なんていいながらも、リアルなものとして実感できずヘラヘラしてたら、「自国の国民が苦しんでるのによく笑ってられるな?」って言われたのが忘れられない。

 

なんか悪いことしたみたいな、日本人から仲間はずれにされたみたいな、変な気分で、その感じはいまだに抜けない。

 

でも、そういうリアリティーの無さって、どこそこの国でジャーナリストが人質として拘束されたとか、地上戦で一般市民が犠牲とか、要するにキャスターが表情をかたくして読まなきゃいけないような諸々のニュースなんかを聴くときに現在もたびたび感じてる。

 

情報の内容によっては「うわぁ想像するだけで吐きそう」とか、思うことももちろんあるけど、それもすぐに忘れさられる感覚に過ぎない。「こんなときにバラエティー番組なんて不謹慎」とかいう自粛ムードのときなど、一体どんな顔して生きてればいいの?と思う。世界には笑える情報も、泣ける情報も、深刻そうな問題も、くだらないゴシップも溢れかえってる中、敢えて深刻そうな問題にフォーカスして、悲痛な表情を浮かべる意味がよく分からない。ほぼ必ず、ほどなく忘れ去られるのに。とりあえず、出来るだけ無表情・無反応に徹するのが安全かな、という感じで対処してるけど…。

 

『情報の奔流を「滝行」に見立てて、身体全域で自由に発散できる身体に鍛えてゆけばいい』(5.生きのびる身体技術)

 

ヨーガもそうですが、身体内のエネルギーを高める修行をすることよりも↑で片山さんのおっしゃっている通り、「自由な発散ができる身体作り」というのがこれからのボディーワーク全般では大事な要素なんでしょう。

 

 

オウムと身体
オウムと身体
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片山 洋次郎
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